新・学び方

新型コロナウィルスの感染報道が過熱していますが、まだまだ病原菌の実態が解明されていないようで、適切な治療法も示されていません。多くの方が不安を抱いたまま日々の暮らしをしています。発熱から肺炎を併発するとのことなので高齢者や障害者には警戒が必要です。当初は、動物からのみで人・人感染はないとのことでしたが、すでに3次感染まで想定される状況です。新型で不明な病原菌については初動対応が大切とのことですが、油断からか今回も過去の反省を学ぶことができなかったようです。
昨年から障害者の在宅就労に取り組んでいます。身体上に課題があり自力移動に困難さがある方や精神的に通勤電車で多くの方と触れ合うことに懸念のある方などが、従来の通所による就労訓練を受けるスタイルから、在宅で訓連を受けることができるテレワーク支援を利用される方も増えてきました。この方式は対面で細やかな説明や操作を瞬時に学ぶことはできませんが、距離がありネットのPC画面対応になるので、一定の学びの間隔が生じてきます。日々のスケジュールも一度に数ページほど学ぶこともあれば、1ページを確認し、納得して進めることもできます。通所ではどうしても数人の集団になるので、全員が同じ内容を同じスピードで進行することになりますので、いつの間にか競争意識が生まれ、早いものと遅いものなど順番がついてきます。
一方、テレワーク訓練は、画面上に仮想の訓練室がつくられますが、訓練の課題や進行は個別に違ってきます。そのために競争が生じることはなく、課題によっては、もう少し詳細に学びたいと思えば、テキスト動画を再生し何度でも繰り返し確認できるので、自分のペースを守って進めることができます。
今日、小学校でも本格的にプログラミング授業が開始することになりました。一人に1台タブレット端末が配布されるので、従来のWebサイトを検索することから、PCのIT機能を有効に活用して、ゲームやビジネス作品が作り出される可能性が広がります。
ネット環境や情報端末が高度化されることで社会の仕組みが大きく変化するので、それを支える若者向けの教育法が変化していきます。教師が生徒を教えることから、AIが知識を教える役割になり、教師は社会生活で大切な考え方や思考の基本的な分野を担当すると想像できます。
ある科学者たちは今を第4次産業革命の時代と位置付けています。技術が進歩することは便利さが増しますが、その反面、生き物である「人」の成長が偏ることを懸念します。

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常識の壁

例年なら大寒のこの時期は1年で最も寒いのですが、今年は暖かくてすでに菜の花が黄色く咲き始め、ブロッコリーの枝芽も硬くなり始めています。暖冬は高齢者には過ごしやすいのですが、季節のサイクルを考えると、この先なにが起こるのか心配になります。グレタさんたちの主張に真摯に聞き入ることの大切さを感じています。
障害福祉ではいつもと違うことが得意でない方がいます。事前に伝えられていることなら段取りよくできるのですが、急に修正や追加が入るとその時点で戸惑ってしまいます。多分、ご自身で入念に準備して「こと」に臨んでいると思います。その方の気持ちになれば、まじめで慎重であれば、“予定と違うこと”に戸惑うのは当たり前のように思います。世間では、それを生真面目と表現し、もう少し深まると“融通が利かない”など、厳しさが増します。
どこかで社会の常識を作り出す基準が動くことで、同じことでも正反対の評価になることがあります。新基準に分かりやすく、納得できる根拠や理由があればいいのですが、往々にして“大人だから、みんながそうだから・・”と誰か大きい声が断裁してしまうようです。
この融通性の度合いが障害認定の基準になります。発達障害の医学的な判断は画像診断でも血液検査でも身体の機能評価でもなく、いくつかの設問から標準値との差で評価されます。乱暴な表現ですがDrのその時の気持ちも大きく影響することもあると聞いています。ただ人がすることなのでこの曖昧さが悪いわけではないのですが、これで救われる方もいれば、深みにはまる方もおられます。診断結果は患者により受け止め方が違うのですが、繰り返されることで自然に世の中の「常識」になります。
一方、歴史的には普通でない、融通が利かない、こだわりが強いと言われている方たちの活躍も見られ、素晴らしい仕事や新たな理論を作り出しています。彼らは時代を牽引する役割も担ってききました。民主主義の時代にこだわりが強い彼らが多数の意見を俯瞰して、時に論理的な意見を述べることで、学説や制度を改良し修正する機会を与えることにもなっています。常識や習慣は日々の暮らしに大切ですが、私たちは一つの基準だけでなく、多様な常識が生まれることも受け止めることになります。
冬が冬らしくないのも、これもよしになるのかな・・。

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新・習慣

奈良も穏やかなお正月を迎えることになりました。元旦の午前は恒例ですが妻と奈良のホテルから浮見堂を眺めながら、ケーキセットを楽しみました。奈良町は相変わらず初詣の観光客で賑わい、餅つき店の前は人だかりになっていました。
元旦は初詣からはじめるは自然であり幼い時から日本人の習慣になっています。特別に意味を調べることも疑問を抱くわけでもなく、新年を祝う行事としてなんとなく出かけてみる程のものになっています。私たちは暦が作られていないときから、季節の移り変わりを風習や祭りにして大切にしてきました。奈良は古くからの風習が未だに色濃く受け継がれている町なので、世界遺産だけでなくそのような雰囲気を楽しみに来られる方も増えてきています。
情報分野では知識や情報を文字や数字及び図等で形式化することがあります。またそれらを日常的に、“なんとなく”使うと、徐々に「習慣」になり、さらに多くの人たちと共有すると「風習」に上り詰めることになります。初詣もはじまりは五穀豊穣、家内安全を神に祈願するものでしたが、風習になることで本来の意味から離れこともあるようです。
最近、ニートやひきこもりの話題がメディアで伝えられるようになりました。多くは外出しないで日々家にいて、個人的な「何か」をしている人たちを総称したもので、外出しない人+収入のない人になりそうです。働いてない人、収入のない人だけでなく、外出がなく社会との関係が希薄であることがポイントで、家事手伝い、売れない文化人やタレント、また職人や専門職は対象になっていません。一方、引きこもりで収入のある人はどうなるのだろうか、自宅で働いて収入があっても社会的な課題は残ります。
日本が裕福になり、働かなくても生きられるようになると、生き方、過ごし方は個人の価値に起因するようになりました。例えば、親の財産や年金で生計が成り立てば、収入は必要なくなります、また自宅で株のトレーダーで収入を得ていれば、友人・知人がいなくても生きていくこともできます。時代と共に「ひきこもり」の定義が変わり、日々、個人で何かをし、その過ごし方に本人が納得していれば対象外になります。
常識や風習は共有化したものなので、地域の多数の意見を総称していますが、個々の生き方や働き方を包括していないのですが、それでも世間は同じ生き方を求めてしまいます。多様であることは個人を認めることなので、今年は多様な風習・・が一般的になるかもしれません。

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令和元年

暖冬に翻弄されているうちに、今日が業務のしまいの日になりました。各事業所では片付けと掃除に大忙しでガタガタ、コトコトといつもと違う音が聞こえてきます。毎月2本のブログを「福祉の現場からの報告」として書いていますが、これが今年24本目になります。
令和を振り返ると、1月は、はじまりの新で年のはじまりの思いを書き、同時期に友人が和歌山県新宮市に福祉事業所ぷろぼのくまのを開設したので紹介しました。2月は就職準備性の評価をAI処理で担うシステム開発の経緯について、また就職し卒業される方に送る気持ちを、3月は陽ざしが暖かくなり、のんびりした気持ちを、4月は新年度の大変さを、5月はよもぎによる農福事業を、7月は学会で講演させていただいたので、福祉支援の主体は当事者意識が大切との思いを、また参議院選挙について、9月、10月は大きな洪水で被災された方のお気持ちに寄り添いたいので2度紹介しました。11月は未来の働き方として、通信や情報端末機器が急速に進歩したことから、障害者も障害のない方も新たな働き方が日常になることで、重度障害者もアバター就労で働くチャンスが生まれたことをお伝えしました。
福祉は日常の細かいことを意識し、それを積み重ねることの繰り返しになります。地道な取り組みが大きな羽ばたきになると、日々の体験から得たものを精査して活用しています。障害者の就労支援も数年前までは、障害者は戦力にならないとの評価から、企業も採用に消極でしたが、今は彼らの働く能力の可能性を知り、育成してくれるようになりました。世間の評価を変えることは大変ですが、“必ずはじまりがあり、いつかは成果が生まれる。”ことを信じて活動する気持ちが福祉を充実させると考えています。
今年もお読みいただき感謝いたします。よいお年をお迎えください。

1月「はじまりの新」「ぷろぼのくまの」、2月「就労準備と機械学習」「夢をひろげる」
3月「事前相談が大切」「曖昧な生き方」、4月「障害によっては」「表現によっては」
5月「これからの農福連携」「快適な広さ」、6月「自己申請について」「当事者意識」
7月「せんきょ」「はたけ」、8月「のんびりと」「若者がいない」
9月「災害から」「挑戦的学び」、10月「災害から学ぶ」「未来の働き」
11月「キャリアハイ」「福祉の積み上げ」、12月「分かりやすさ」

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分かりやすさから

今年は暖冬で紅葉の時期が遅く、ようやく奈良公園の奥にある大きなイチョウの木の周りに黄色い葉が広がるようになりました。都会ではジングルベルとサンタが年の瀬を告げていますが、もし24節季だけで暦が作られて、今のようにこの季節を「12月」として示していなければ、その時々の寒さや陽あたりだけが季節の移り変わりの目安になり、季節を意識することに無頓着になっていたかもしれません。奈良の静かな師走も、インバウンドで国籍不明エリアになり、たぶん1300年前のシルクロードをラクダに揺られて平城京にたどり着いた人たちで混雑した風景にタイムスリップした雰囲気があります。
現代は、人の生き方も年齢と共に多くの決まりごとが作られ、例えば、生後何日以内に命名し出生届があり、6か月や18カ月の検診、6歳になると小学校に入学、18歳で選挙権が与えられ、20歳で成人になり喫煙や飲酒が認められます。忙しい人生ですが、障害者も18歳になると障害児から障害者になり、成人向けの福祉制度を利用することができます。20歳になると障害の程度などの要件を満たせば障害年金を申請できるようになります。
このように年齢を数字にして人の成長と社会の関わり方が決められています。その規則はいつのまにか最大多数の方には良い仕組みになり、世間一般に受け入れられ、当然のようにこの手順に沿った生き方が標準になる一方で、それを負担に感じる方も出始めています。人の成長や思いは地域や個人の差があるので、共感し同調できない方もいます。また少数ですが同調したくない方も増え凸凹のある生き方も顕在してきました。教育分野では、義務教育の学校に通学するかしないか不登校になるかどうか、また障害者では手帳を申請するかどうか、さらに手帳を公表するかどうかも選択できるようになりました。
このように個人の判断が尊重されるようになりましたが、移行期にありがちな曖昧なものも残っています。選択肢が増えると、独自に調べて判断できるのですが、比例して責任も増え、また必ずしも選択が最適にならないこともでてきます。自らの生き方について、取り扱い説明者のように数字、文字や画像をSNSなどに公表することもできますが、その判断も個人に任され責任もすべて個人に帰属します。分かりやすさを大切にすることは、「人」がもつ、自然に生きることに繋がるのですが、時期と場所、他者を見極める感覚も発揮してほしいものです。

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