エッセンシャルワーカー

新型コロナの感染拡大が第2ステージに突入しています。奈良でも連日感染者が増え、すでに500人を超えています。このように誰にでも感染する危険性がありながら、社会で必要不可欠なしごとをしている方たちがいます。医療関係者はその最前線を担当し、日々患者の治療に専念しています。また食品分野では農業生産や工場での加工作業、またお店で販売に従事されている方もたくさんおれらます。一方、福祉関係者は医療と共に人々の健康の維持と安心して暮らすことを支援しています。これらの業務を担っている人たちは社会活動を支えている役割を担っておりエッセンシャルワーカーと称しています。
社会の構造は行政及び教育、医療、福祉が基盤業務を担い、企業は生産活動により経済の拡大と循環の役目を果たしています。時代と共にこれらの基盤業務が民間に委託されるようになり、より効率性を重視して、成果が公表されるようになったので、役割が分かりやすくなってきています。
新型コロナの感染が広がりエッセンシャル分野で働く労働者から感染者が出たときに、あまりよろしくない評価や意見をされる方が出てきています。特に緊急事態宣言が解除されるまでの間に、多くの方が不要不急の場合を除いて、外出を控えているのに、なぜ、あなたたちは職場などに出かけるのですか?などの内容が多かったと思います。もしこの人たちが仕事を放棄してしまうと、多くの社会活動に不具合が生じてしまいます。もし、医療機関や福祉施設、スーパーマーケット等が閉鎖されたら、日常生活が成り立たなくなります。彼らは感染のリスクを感じつつ、多くの方たちの代わりに役割を粛々と担っているだけなのです。
奈良県の感染者が約500人になりますが、PCR検査の陽性率を2%に想定すると、検査を
実施した総数は約25,000人になります。奈良県の人口は約145万人ですから、検査した県民比率は2%にもなりません。感染拡大を抑えるには、早期に感染者を見つけ出し、隔離する以外に現状では方法がないので、特にエッセンシャルワーカーは優先して検査が受けられるようにすることは、感染防止の重要な施策になります。彼らがPCR検査で陰性を確認することで、社会的な不安が減少し、また彼らの社会的な役割の大切さを分かっていただける機会になることを期待します。

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栽培と調理

昨年の秋から奈良市大宮町の自治会の協力を得て、近くに150㎡程度の農園をお借りしました。これまで田んぼでしたので、土が硬くて水はけが悪く、腐葉土を混ぜて土を柔らかくすることと共に、土壌改良として畑の周りに約30cmの溝を掘り、長雨があってもそこに水を貯め、外に流すことで、畑の水はけを良くしました。昨年の秋には大根やカブ、玉ねぎやそら豆を試験的に栽培しました。その時の土壌に適応できる野菜は成長しましたが、その他のものは肥料と土とのバランスが良くなかったようで散々な結果になりました。
その教訓を参考にして、4月に夏野菜のキュウリ、なす、トマト、獅子唐、カボチャ、青しそ、ねぎ、インゲン豆そしてトウモロコシと多くの種類を栽培しました。野菜の特性を調べて、事前に土を準備しましたので、順調に活着し成長し、6月上旬から収穫できるようになりました。特にキュウリ苗は2種類で10本植え、こまめな水やりと適度な枝誘導をしましたので、最盛期には毎日15本ほど収穫できました。トマトはミニ及びミディサイズの苗を9本植えましたので、太陽の光を浴びて赤く色づいた実がたわわになり、この暑さでも順調に成長しています。特に楕円形のアイコ種は形も面白く甘みもあり喜ばれています。
収穫した野菜は私どもが運営する「ぷろぼの食堂」で食材に使っています。購入したものと違い、その日に収穫して新鮮なままで食材にしていますので、歯触りと甘みの良さを感じています。また収穫量も日々異なりますので、その日の収穫に合わせて、スタッフがメニュー構成や彩を調整してくれています。それまでサラダはキャベツが主でしたが、そこにトマトやキュウリ+青しそが加わり、味と共に華やかさが増してきています。
野菜を栽培した経験のない方は、キュウリがどのような枝に実をつけているのか、カボチャやトウモロコシの姿や形が想像できないこともあると思います。スーパーなどに陳列されている野菜を購入していると、それらが土から栄養を得て実をつけていることさえ、希薄になっているように感じています。この間で食堂のスタッフたちが、野菜の苗の名前が分かるようになり、徐々に種類に応じて水の量も調整できるようになりました。経験することの大切さを学んだ野菜作りでした。

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偏見と普通

4年前に神奈川県相模原市にある知的障害者の入所施設「津久井やまゆり園」で元職員による大量殺傷事件がありました。重度の障害で日常生活に困難さがある人たちが主に被害を受けました。犯人は逮捕され判決が確定しましたが、なぜ彼がこのような事件を起こしたのかが不可解でなりません。報道では、重度障害者は生産活動ができないので社会の役に立たない存在だと断定した供述があったとのことです。反面、被害にあわれたご家族は、大切な子や兄弟を失い悲しみの気持ちを伝えていました。
社会で生きることの権利は個人にあり、それを誰も阻害してはいけないことは周知のことですが、現代では考え方が多様になり、そこから生きることの意義や価値につなげることは自由に発想できますが、偏った思考からそれを行為として実行した時点で多くの犠牲が生じることになります。考え方や価値観の違いがあっても、行為に走ることを踏みとどまることが、社会で生きることの最低条件になります。
人は長い歴史から議論を重ねて多くのルールをつくり、それが守られることで社会の秩序が保たれることを知り、理解することになりました。民主主義の時代になり、個人の権利が明確になると、私たちはようやく自由に考え、行動できる社会を作り上げてきました。多くの法律や制度は国民の賛同を得て作られ、多少の異論があっても、それを順守することを大切にし、そのような人を「普通の人」と表現してきました。それがいつしか、考え方が違う人を「普通でない人」として作り出し、壁を作り、さらに考え方だけでなく、身体や精神上の違いにも発展して、それが障害などでバランスよく活動できない人たちに向けられるようになりました。
今の時代も、まだまだ最大多数の最大利益を主張される方は多くおられますので、「普通」な人の集団からこぼれ落ちた「普通」じゃない人が、ダイバーシティの考え方を主張しても、簡単には理解され広がっていきません。これから社会が成熟するためには、「普通」の領域を広げることにあると思います。優位で特別な存在である人と共に、障害のある方も含めて、みんなが「普通」であるとの考え方を基本にできる新たな社会を目指したいものです。

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現実領域

今、現実に起きていることを私たちは事実、リアルな現象としてとらえています。この時間、この場所の事実を受け止めて、それが過ぎ去ると「過去」のこととして記録して、記憶にとどめておきます。この繰り返しが世の中であり、生きていることになります。
一方、ネットワークでSNSの活用が増えてくると、現実のこととは別に、そうかもしれないと想像する世界が生まれてきます。リアルにたいしてバーチャルvirtualと表現され、仮想と訳されています。Virtualの本来の意味は事実的な、実質的な、実際の、訳であり、仮想として、現実とは違う仮の現象を表す言葉として使われ、少し違った意味を持つようにも思えます。この事実的な意味を現実に置き換えてみると、例えば、旅行で楽しい時間を過ごすことを想像すると、これまでの旅行体験から理想とする旅行の過ごし方がつくられてきます。それを理想として徐々にその人の旅行のスタイルがつくられ、いつしかそれが現実にそのような旅行をしていないのに、理想とする旅行になり、事実として記憶されるとの見解があります。これは人の記憶が時間と共にいくつか希望するものに引き寄せられて、自然に理想化されそれが事実的になるようです。
障害福祉の就労支援の分野でも、現実の訓練から学ぶことを蓄積して、それらから徐々にその人にとって分かりやすい事や興味深いこととして、ストーリー化してまとめていく支援があります。よく初級から中級、上級へとステップアップする手順と似ているのですが、最後の取りまとめの段階で目標とする基準を想定し、それを想像しておくことで、上級コースを修了した時点で、それ以降の訓練を受けていなくても理想とする訓練成果を具体的に広げることが自然にできるようになります。
現在の技術では、その理想とする目標をVR「仮想現実」としてビジュアル化することができるようになり、それをヘッドマウントディスプレイで3次元の仮想空間で動きを実感することができるようになりました。ゲームのように現実の世界とかけ離れた空間であれば、現実とは違うものと認識しますが、それが現実のものと類似していると、現実のように記憶されます。これから障害福祉の分野でもすべてのことをリアルに体験しなくても、それを集約したものを事実的な現実として体験することで、急速に経験から学び成長を促すVRによる支援ができるようになります。まだまだコンテンツや評価等について医学的に検証が必要なこともありますが、総合的に可能性を追求することになります。

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自己意識

新型コロナの緊急事態宣言が解消され、関西では新規の感染者数が減少したことで、週末の奈良公園の観光客は増えています。一方、東京エリアは日々50人を超える感染者が出て第2波への警戒が必要になっています。今後は、ビジネスや観光などで広域の移動も増え、新幹線などの公共交通機関の利用者数も徐々に戻りはじめています。
この度、私たちは新型コロナの影響を初めて経験し、今までの病気と違い、感染しても無症状の方がいることや重篤になり死亡される方もおられることを知りました。検査方法はPCRになり、当初は喉の奥の検体を採取することになっていましたが、初期段階では舌表面の唾液でも十分な精度を確保できるとのことです。また医療についても、当初は75℃以上の発熱が4日以上継続した方として、その間は自宅で待機することを言われましたが、感染度合いから感染初期の1週間が最も危険があり、その後は感染率が低下するとの見解になりました。
現代の科学ではすぐに解明できないことや対処が難しい事案が生じると、このように国全体が右往左往する事態が常態化し、生命の危険や経済的な不安を感じながら日常生活を過ごすことになります。多くの国民は行政の方針を待ち、それに従って行動しますが、方針は日常生活の詳細な部分を盛り込んだ内容にはなりませんので、私たちはその都度、方針の意図を理解し、個別の項目についてそれなりの判断ができる準備が必要になります。
制限解除の方針では、広域移動や接待を伴う場所、また大きな歌声でカラオケする場合は、ソーシャル・ディスタンスで2mの間隔をとって対応すること、それに加えてマスクを着用しアルコール消毒を念入りにすることや健康に留意して免疫力を高めることなども示されました。私たちがこの方針内容をどの程度受け止めて実行するかによって成果は確実に違ってきます。
私たちはウィルスや感染症について、都度、これまでの知識や経験と関連させて個々に判断し行動します。しかし専門家でないものにとっては大変難しい判断を迫られる場合もあります。そのために日頃から、身近なことを自己判断する意識を持って、練習しておくことも大切になります。“自分のことは自分で守る”、この基本を改めて考える機会になりました。

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